お江戸 新選組めぐり-4-
試衛館跡 (2004年12月)
天然理心流道場 試衛館跡 (新宿区 市谷柳町25) |
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新選組を作った近藤勇・沖田総司・土方歳三らが、剣をみがいた 試衛館のあった場所付近に、文京区教育委員会による 歴史標柱が立っていました(H16年3月付) 道場のあった地名は、甲良屋敷とも牛込柳町とも。 「もち歩き 江戸東京散歩」(人文社)では、 市谷甲良屋敷の一角、市谷柳町25の「付近」になっていました。 現在の住所名・市谷甲良町は、市谷柳町とこの碑の前の道を挟んで面しています。 ともかくここ一帯ということで、おおよそまちがいないんでしょうね。 なお、大石学著『新選組「最後の武士」の実像』(中央公論社)に、 史料には試衛場という名称しか示されていない、試衛館の名は確認できない、 という 資料が紹介されており、びっくりしたのですが… まぁ、気分が出ないのでやっぱりここでは迷わず、試衛館で。 |
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大江戸線の牛込柳町駅が 最寄り駅でした。 改札を出た途端に、 ゲンコのかっちゃんポスターと 誠の旗がお迎え。 試衛館の台の上には、 試衛館跡付近の案内地図 (古地図入り)のコピーが。 一枚頂きました。 東口から出て2〜3分、近いです。 信号のある市谷柳町交差点を斜向かいに渡ります。 参考地図 牛込柳町駅・東口〜マピオン地図 +が下の柳町病院(市谷柳町25番地) |
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市谷柳町交差点 奥の上り坂は「焼餅坂」 |
緩やかな焼餅坂 右手が甲良屋敷の一角。 |
柳町病院の角を右折。ちょっと上り坂。 この先右側に試衛館跡の碑があります。 この道が境界線で 道の右側の住所が、市谷柳町。 道の左側の住所は、市谷甲良町 |
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誠の旗!下に説明がはってあります。 | 市谷柳町試衛館 製作の説明 ↑クリックで拡大します |
試衛館跡 この駐車場に脇に、「試衛館」跡の歴史標柱が 立っています。 (写真中央) 試衛館の皆がここら辺で稽古し、 生活していていたんですねーo(゜ー゜*o) ここ、市谷柳町25番地周辺の MapFan Web 地図はこちら |
↑歴史標柱 クリックで拡大します その後ろ、坂の下が稲荷神社。 (下記参照) ←解説文はこちらをクリック |
先ほどの説明には350年の歴史がある 稲荷神社、と書いてありました。 試衛館の皆もお参りしたかな。 少し彫刻も見えます。 クリックで拡大します。 |
稲荷から振り返った風景。 奥、道路はさんで、現・甲良町の住所。 高層ビルも見えて、時代の流れを 感じます。 |
←甲良町1のプレート。 やっぱり撮りたくなってしまいますね。 いくつかのHPで このプレートを見ました。 住んでらっしゃる方はこんなに これが被写体として人気?だと 知っていらっしゃるのかな(笑) 右は、焼餅坂の一本内っ側の道→ 下がりきった所から撮りました。 試衛館は坂の上、というのが 実感できます。 (上がって左手になります) |
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ご近所のお寺 経王寺 新宿区指定有形文化財 彫刻 経王寺の大黒天像 があるそうです。 以下、東京都新宿区教育委員会の解説版より。 山の手七福神のひとつで、日法上人の作、 慶長三年(1598)に甲斐国身延山より 移されたと伝えられる。 高さ12センチの木彫立像で、大黒頭巾を かぶり小槌と大袋を持ち台座に乗る 通規の様式だが、江戸時代のものと異なり 、微笑面ではなく厳しい表情をしている。 室町時代の作と考えられ、度重なる火災にも 焼け残ったことから「火伏せ大黒」として 崇敬されている。 |
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